2010年9月5日日曜日

2010/09/05 勝浦朝市と久留里城

(↑いつもどおりに1投稿毎に下から上に読み進ん でください。)

久留里城は15世紀の中ごろ、戦国時代に真里谷武田氏によって築城されたと言われ、16世紀には南総の里見氏が安房から上総に進出する際に本拠地を移したとされている。このブログの前回の投稿の館山編の館山城に続き、里見氏ゆかりのお城なのである。二の丸の跡地にある資料館で休憩がてら見学をして、汗が引いたところで天守閣へと向かった。天守閣は明治5年には一旦解体され、元々あった場所の隣に最近になって再建されたものであった。久留里城の駐車場へ着き、まずは天守閣方面へ向かう山道を仰ぎ見て、続いて傍らにある看板を見て、ううっとうなってしまった。まだ朝9時ではあるがスカイラインのインパネ内にある温度計の気温表示は既に32℃である。猛暑の中を山登りである。
朝来た国道297号(大多喜街道)を少し戻り、途中から養老渓谷方面へ反れて久留里城へ行ってみることにした。国道465号(養老渓谷ライン)へ入り、いすみ鉄道や小湊鉄道、養老渓谷から続くきれいな河川を左右に見ながらどんどん房総半島の真ん中へと進む。
唐突であるが、学生時代の夏休みに実家が漁船の船主だか網元だかをやっている同級の女友達の家へ、きたない数人の男共で押しかけて、その女友達の父上に生まれて始めての鮑の刺身や、一升瓶の焼酎で歓迎していただいて全員撃沈して正体不明となり、目覚めた時には朝で、ばつの悪さでみんなで港の岸壁に座ってしょんぼりした思い出のある、勝浦の湾の外側、川津の漁港の方へ行ってみた。朝陽はその時と一緒でキラキラまぶしいものであった。
あとは朝採れのなすとトマトである。なすは朝市のそこらじゅうのお店で200円で売っているのであるが、写真の倍の量で売っているのである。お店のおばちゃんに「3人家族では食べきれないナ」と言ってみると、半分(6本)で100円で売ってくれました。トマトは別のお店で買って、写真の量(6個)で500円と安くはないけど、冷やして食べたらととても美味でした。写真に緑色のピーマンのようなものが写っていますが、これはお店のお婆ちゃんがおまけに付けてくれたパプリカです。お婆ちゃんは「これは黄色や赤になるには、まだまだ(日数が)かかるんよ。私はこのくらいの時の味の方が好きなんよ。お兄さんも食べてみて。」と言って袋に入れてくれたものです。家に帰ったら、このなすとトマトとパプリカを使ってラタトゥイユを作ってくれたんだけど、とても美味しかったです。
朝市で自分は何を買ったかというと、まずは朝市の通りに天然酵母で焼いた、美味しそ~な香りを漂わせていたパン。写真上方の丸いパンは一個60円、下方の調理パンはカレーパンで150円であった。カレーパンは後部座席に置いていたら、良いにおいに我慢できなくなって朝ごはん代わりにスカイラインの中で食べてしまった。
千葉県勝浦市は漁港の街なので、そこの朝市は当然カツオやアジなどの魚であふれている様子を想像してしまいそうであるが、実際は朝採れの野菜や果物がメインなのである。水産物の出店は少数派である。
朝市に戻ってみるとすっかり始まっていて、準備の時はひっそりしていた通りに活気が出ていた。
お万の方は徳川家康の側室であるが、もともとは勝浦城正木氏の姫として生まれた人です。豊臣秀吉が北条氏を攻略した際、北条方であった勝浦城正木氏も本多忠勝等の軍勢に攻められて落城したが、お万の方は八幡岬へ母と幼い弟を連れて逃げ延び、さらにはこの絶壁に白布を垂らして海に降り、小舟で館山方面へ逃げのびたと言われている。それでこの岬は「お万の布さらし」とも呼ばれている。その後に伊豆の沼津の方にいる時に徳川家康に見初められたそうである。良かった、良かった。
展望台の広場へ出ると朝陽の中で「お万の方」が迎えてくれた。
駐車場からは広葉樹でうっそうとしたトンネルになっている階段を登って展望台へと向かう。
八幡岬(はちまんみさき)は断崖になっており、駐車場からは赤鳥居の立つ島が見える。
が、まだまだ始まる気配ではなかったので、勝浦から海に突き出した八幡岬の方へ行ってみた。
早起きした猫も迎えてくれた。
通りに入ると準備に忙しそうな人たちが見えてきた。
入口付近はまだ薄暗く人影もまだ無かった。

朝4時。ごそごそとベッドから起き出して、うっすらと明るくなり始めた空を眺めた。この時間でも生温い感触の外気を吸い込んで、このところの日中の暑さを思い出した。昨日、雑誌で見かけた※日本三大朝市のひとつの千葉・勝浦の朝市へ「早起きして行くぞ!」という気持ちが一瞬くじけそうになったが、思い直してV36Skyline 370GT Type-Sのエンジンをスタートさせた。前回に続き千葉県房総半島を目指して東関東自動車道、通称・湾岸道路を駆け、宮野木J.C.Tから京葉道路、館山自動車道と乗り継いだ。途中、サーフボードを積んだおしゃれな感じのピックアップトラックが並走してきてしばらくは一緒に走ったが、あちらは千葉東J.C.T.から東金道路方面へ去っていってしまった。九十九里方面へ向ったのであろう。こちらは市原I.C.を出て国道297号、市原バイパスを経て大多喜街道(どちらも国道297号)を南下。最近「ゆる鉄」などと言われて人気があるらしい小湊鉄道やいすみ鉄道と並走したり、大多喜城の天守閣を横目でみたりしながら、でも、寄り道を我慢しながら勝浦へとひた走った。なんで我慢したかというと、せっかく早起きしたのだから勝浦の朝市の準備のところから見てみたいと思ったからである。AM5:30ジャスト、朝市会場の近くの勝浦市民会館前に到着。駐車する予定だった市民会館の駐車場は6:30開場となっていたため、やむなく路上駐車して、※※会場である下本町朝市通りへ行ってみた。

※日本三大朝市 … 石川県輪島、岐阜県高山の二つは不動。残るひとつは千葉県勝浦と佐賀県呼子の二箇所のどちらかを入れているようです。日本四大朝市ではだめなんですかね?
※※朝市会場 … 1日から15日は下本町朝市通り、16日から月末は仲本町朝市通りが会場です。が、二会場はすぐ側なので、近くまで行けばどちらでやっているかわかりそうです。

http://www.city.katsuura.chiba.jp/asaichi/02.html

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
この更新メモでの予告どおり、日本三大朝市の千葉勝浦と前回紹介した館山城と共に南総里見氏縁の久留里城へのドライブをUPしました。猛暑の中、早朝4時 に出て、午前中には帰途につくというスケジュールでしたが、スカイラインの車外では汗だくになりました。頑張って行って来ましたので読んでみてください。

2010年8月11日水曜日

2010/8/11 館山 ひまわり

(↑いつもどおりに1投稿毎に下から上に読み進ん でください。)

博物館の展示を見て外へ出てみると、海上自衛隊館山航空基地から舞い上がった数機のヘリコプターの爆音が鳴り響いていた。この基地は第二次世界大戦前からの飛行場基地であったそうで、滑走路の端が海に向いているため、戦時中は特攻隊のゼロ戦の空母への発着訓練にも使われていたそうである。間もなく終戦記念日である。無論、筆者も戦争体験には縁の無い世代であるが、この飛行場が二度と同じような用途で使われることがないことを願いたいと思う。
城山の登り口には館山市立博物館本館があり、入り口までにはたくさんの彫刻が展示されている。
とはいえ、日本庭園や天守閣があるところまでの城山登りの坂は結構な傾斜である。大きな樹の葉が太陽を遮ってくれているとはいえ、炎天下で登った体は汗だくである。
館山城は城山全体が公園になっており、天守閣の手前にはお茶室と日本庭園がある。日本庭園の池にはもみじの葉が水面に浮かび、涼しげであった。
城山からの眺めも良いのですが、天守閣の上からの眺めとの違いで高さを感じてみてください。
天守閣は館山市立博物館の別館になっており(本館は城山の麓にある)、里見八犬伝関連の展示がある。最上階に登ってみるとなかなかの絶景である。
まだ帰るには早いので、館山城へ行ってみることにした。館山城は南総里見八犬伝で有名な里見氏が1580年に築城したものであるが、現在建っている城は当時の姿ではなく、1982年に岐阜県犬山城の天守閣を模して建てられたものである。
畑の横に停めたスカイラインのフロントウインドやボンネットには、きれいな雲が映っていた。
でも、そばに寄ってみると一輪ずつは結構元気に咲いており、ミツバチも蜂蜜集めに忙しそうであった。
到着したのはPM2:00頃であったろうか、残念なことに朝からの強い日差しでひまわりはちょっとぐったりした様子で咲いていた。
ひまわりが群生しているのは、千葉県館山市山本にある館野小学校とJR内房線の線路の間にあるスペースである。
館山でひまわりの花が群生して咲いているという話を聞いて、一日だけとったお盆のお休みに用事を済ませた午後になって出かけた。2月、5月の投稿にも登場した京葉道路から館山自動車道、富津館山道路へと続くルートを駆け、夏休みで車の多い“ハイウェイオアシス富楽里”で一休み。いかにも「夏~!」という空だ。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
前回のUPでのお約束どおり、8/11 館山UPしました!7/19分のUPが遅くなったので、連続してのUPとなってしまいました。飽きずに読んでみてください。

2010年7月19日月曜日

2010/07/19 宮ケ瀬湖

(↑いつもどおりに1投稿毎に下から上に読み進ん でください。)

帰りは東名高速へは戻らず、そのまま北上して中央高速へ抜けてみました。さすが3連休、渋滞に入ってしまいましたが、晴天に恵まれて今日もV36スカイライン370GT Type-Sは快調でした。
ダム湖独特の複雑な湖岸に沿って、きれいに整備された道路が続きます。
橋の上から覗き込んでみました。空が晴れ渡っていて、水にその色が映るのかとてもきれいな色です。
国道412号から県道514号を左折し、幾つかのトンネルを抜けると視界が開けたところが宮ヶ瀬湖である。
もう少し上流へ移動すると、親子連れがたくさん川の中へ入っている。こんな時に限ってスカイラインには水着どころかサンダルも積んでいなかった。あ~浸かりたい。
宮ヶ瀬湖(みやがせこ)は東丹沢にあるダム湖である。中津川をせき止めたダムにより1998年にできた4.6平方キロメートルもある、結構大きな湖なのである。近隣にある相模湖の大きさをはるかに凌ぐ大きさであるが、その知名度が今ひとつなのはその新しさのせいだろうか。宮ヶ瀬湖へは東名高速を駆け、厚木I.C.で降りた。国道を129号、412号と乗り継ぎどんどん北上すると、まずは中津川で鮎を釣る人をみつけた。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
今回は実際のドライブから投稿まで随分かかってしまいました。7月19日に宮ヶ瀬湖へ行って以来、だらだらと投稿せずに過ごしてしまいました。そして8月 11日になって時間が出来たので、先に前回分を投稿すればよかったのですが、天気のよさに負けてふらふらと館山に出かけてしまいました。で、あわてて7月 19日の宮ヶ瀬湖を投稿しました。近日中に8/11分も投稿します。読んでください。

2010年7月4日日曜日

2010/07/04 銚子・犬吠崎

(↑いつもどおりに1投稿毎に下から上に読み進ん でください。)

帰路は国道126号を旭市方面へ駆け、途中の上総豚肉の直売店でひれ肉とロース肉を土産用に買い込んだ。横芝光I.C.から千葉東金道路銚子連絡道路へ入り、京葉道路経由で自宅へ。今回のV36Skyline 370GT Type-Sのドライブはザックリ300km。今日も快調に駆けてくれました。
最後は銚子漁港方面へ。ウオッセ21(魚メインのお土産物産センター)を覗いて、銚子ポートタワーへでも上ってみようかと思ったが、気温のせいか海から靄がかかり始めてしまい、景色には期待できそうもないので回避。タワーの写真だけ撮影。
天気のわりには波は荒いようで、白い波頭が浜の方まで押し寄せていた。人影もまばらだった。
灯台の近辺は駐車スペースが無かったので、君ヶ浜側に出てみた。先ほどとは反対側から灯台を見上げる位置になった。
海沿いの道、県道254号を進むと犬吠崎灯台が見えてくる。
マリーナの脇にある海水浴場の辺には水上バイクを楽しむ人やバーベキューをする人たちで少しは賑わっていた。
銚子マリーナでは出帆しそうなヨットは一隻も無く、せっかくの夏っぽい陽射しがもったいないくらいであった。
気が付くと、いつの間にか空は青空、気持ちがよいので銚子ドーバーラインを駆けて銚子マリーナへヨットを見に行くことにした。この道は刑部岬から銚子に向けて40~50mの高さの絶壁が10km程続く屏風ケ浦が“東洋のドーバー”と呼ばれていて、その絶壁の上を走る道であることに因んで命名されている。
ここ旭市の飯岡あたりは漫画家ちばてつやの育った地らしく、灯台の周りに広がる公園にはあの矢吹丈と力石徹、あの名作「あしたのジョー」のヒーロー二人の石像がたてられていた。ギャグ調の三頭身であるのがちょっと残念。。
銚子・犬吠崎に向かう前に飯岡灯台の立つ刑部岬へ寄ってみた。少し雲行きが怪しい。
東関道を大栄I.C.で降りて少しだけ国道51号線を駆け、すぐに東総有料道路へ入った。初めて駆ける道だったけど、なかなか素敵な道でした。でも、日曜日でこの交通量。大丈夫かな。
前回の投稿「水郷・潮来 あやめ祭」に続いて東関東自動車道を駆けてきました。目的地は銚子・犬吠崎。途中、大栄P.Aでちょっと休憩。エリアの入り口近く側の木に何やら赤い実がたわわに生っている。「やまもも」だった。かわいかったので一枚。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
日曜日、朝の天気は今にも降り出しそうだったけど思い切って出発。空は徐々に回復し、犬吠崎中心にウロウロしてみました。あまり気に入った写真は撮れなかったけど、せっかく出かけてきたのでUPしました。見てみてください。