2011年1月24日月曜日

2011/01/24 葛飾柴又 懐かしの寅さん

 (今回からは、上から下へ読み進んでいただけます!↓)

薄日はさしているけれど気温は5℃以下。家を出てすぐ、近くに停めて久しぶりにブログ登場のV36Skyline 370GT Type-Sを一枚パチリ。






停めた場所の金網の向こうは営団地下鉄東西線の引込み線。そのまた向こうは江戸川です。






向かったところは映画「男はつらいよ」寅さんで有名な葛飾柴又。国道14号を少し駆け、蔵前橋通りから中小岩小入口の交差点から県道451号へ入り、江戸川を数キロ遡った河川敷、柴又球技場サッカー場と野球場の間にある柴又公園の駐車場。駐車代は500円。






柴又公園の中には、細川たかしの歌で有名な「矢切の渡し」もある。写真は渡しの桟橋であるが、この日は運航日ではないので閑散としているが、運行日には観光客がけっこう乗るそうである。が、対岸はゴルフ場の真ん中へ接岸するようである。
矢切の渡し 運航日:3月中旬-11月 毎日
             上記以外    土日祝日&帝釈天縁日
             荒天日は運休
        運航時間:10:00-16:00

川の土手を越えると寅さん記念館である。入口の上では寅さんが看板の架け替え中であった。この下には片方脱げた寅さんの雪駄(せった)も落ちていた。





寅さん記念館のチケットである。寅さんは1991年にコミックにもなっているが、その作画者の高井研一郎氏のイラストであった。コミックは第9巻までと、リリーがヒロインの3部作が刊行されているそうです。









 館内に入るとすぐ、撮影中の山田洋次監督とスタッフが迎えてくれた。この後は、立体紙芝居のようなミニシアターで寅さんの幼少期から映画の当初のシーンまでが紹介される。






【寅さんミニシアター】

「ガキ大将の寅」
寅:5歳






「東京大空襲」
寅:11歳
さくら:5歳





「ついに家出」
寅:16歳
さくら:10歳

次も











「テキ屋修行時代」
寅:二十歳






 「20年ぶりの故郷柴又」
寅:34歳
このシーンから映画の初回が始まるのかな?




【以上、ミニシアター終了】

監督やキャストの皆さんがおられたので、一枚。




んなわけないか。
でも記念館の中の一枚です。


くるま屋のセットです。
映画で見るより小さく感じます。






くるま屋の2階にある寅さんの部屋へ上がる階段。
どの回にも出てくる階段です。







寅さん愛用のカバンと帽子とマフラー








こちらはとら屋のミニチュアです。おいちゃんが10cmくらいです。二階には寅さんが昼寝していたり、庭ではさくらが洗濯物干しています。





下町の商店街のミニチュアです。こちらの人間は20cmくらいあります。写真で見ると結構リアルですね。






寅さんの一張羅。着た切り雀のスーツです。












寅さん記念館を出て、お隣の山本亭へ行きました。山本亭は寅さんとは関わりはなさそうですが、何故か寅さん記念館と割引セットでチケットを売っています。山本亭は、地元の山本工場(カメラ部品製造)創立者である山本栄之助の邸宅だったそうです。和洋の建築物や庭園の文化的価値がとても高いそうです。

 ここは長屋門。家ではなく、門なのですが、この立派さです。






長屋門にある部屋の窓のステンドグラスです。こんなところに部屋があって、こんなところにまで、こんなきれいなものを使っています。





長屋門から玄関までの庭です。











庭ではもう白梅がちらほら咲いていました。







邸の中の照明も素敵です。







玄関の中には人力車もありました。







邸の中で雑煮をいただきました。干し椎茸のだしがきいた、しょうゆの澄まし汁でした。関東の雑煮はやはり澄まし汁なのだなと思いました。





 洋間も素敵です。







 この部屋にも素敵なステンドグラスが使ってありました。








 山本亭を出て、3分ほど歩くとすぐ柴又帝釈天でした。

御前様の笠智衆が現われそうです。






源公(佐藤蛾次郎)が鐘を突き始めそうです。











山門の前には寅さんがいたので、一緒に一枚。





当然うそです。合成です。失礼しました。


参道のだんご屋さんは平日にもかかわらず、結構繁盛しているようでした。






京成柴又駅まで行ってみると、寅さんの銅像がありました。











すぐそばには山田洋次監督筆の寅さんのおなじみの口上
「私、生まれも育ちも・・・・・」
の記念碑もありました。





 寅さんが実在したら、少年時代に絶対通い詰めたであろう駄菓子屋もありました。店の名は「ハイカラ横丁」






 ピンボール







 駄菓子に







 射的もある。なんだかワクワクしてしまう。








柴又はなんだか一杯遊べるところでした。
そろそろ、帰ります。



 随分長い投稿になってしまいました。
寅さん記念館も山本亭も館内で撮影して良いものかどうか迷って係員に聞いてみたのだが、どちらも「ご遠慮なくどうぞ」と言っていただけ、思わずたくさんシャッターを切ることになった。博物館や美術館の殆どは館内撮影が禁止されているようであるが、止むを得ない場合もあるのだろうが、このように許可していただけると思わずたくさん撮影して紹介することにもなる。よい思い出の記録になる。
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2010年12月10日金曜日

2010/12/9_10 【番外・出張編】岡山

(↑いつもどおりに1投稿毎に下から上に読み進ん でください。)

この「季節料理いまむら」での食事を今回の岡山での一番のお土産として、17:46ののぞみ46号で岡山を後にしました。駅弁を買って乗車したけれど、遅い時刻の昼食であったせいもあるのだろうけど、「めばるのから揚げ定食」の余韻が消えないまま20:33に東京着。結局駅弁は自宅まで持ち帰って食べることになりました。

絶品であった。しかも実際にはイラストよりも品数が多く、上記以外に魚の煮付けが一鉢と小皿のお新香が付いていた。から揚げを揚げている間に、先に魚の煮付けの小鉢と水菜と揚げの煮びたしの小鉢と ご飯が出てきた。食べだしてみると魚の煮付けのあまりの旨さに、ビールを頼まずにはいられませんでした。ビールを飲みながら待っていると“じゅうじゅう”音をたてな がらめばるのから揚げが出てきました。尾びれ、背びれ、胸びれは言うに及ばず、骨に至るまでが絶妙の揚がり具合である。硬さの異なるこれらの部位をどうやって全て食べごろにしているのだろう。途中で出された熱々のかす汁もまた、ほっとする、なんともいえない風合いであった。こんな子供のようなイラストにするのは申し訳ない感じである。
時間的にはかなり遅めの昼飯は中山下にある「季節料理いまむら」という店に入ってみた。昼飯の店という感じではない。少し奥行きの広いカウンターとカウンターの背中側に4席ほどの小上がりの座敷がある。夜に美味しいお酒と魚とおでんを食べる店という感じである。店の中にはカウンターの中に親父さん。カウンター席には客とも、知人ともつかない女性が一人、定食の魚の骨をとりとり食べながら親父さんと話していた。途中親父さんの娘とおぼしき女性がカウンタの中へ。さらに食材店の御用聞きと思われるお兄ちゃんが少し話していった。空いているカウンターの席に座り「めばるのから揚げ定食」を頼んだ。
車も入れぬほどの路地の奥にお洒落なオブジェがあった。国吉康雄(画家)の生誕地であった。牛のオブジェは金谷哲郎(造形作家)の作である。
後楽園を出て鶴見橋を渡り、城下の出石(いずし)町の古い町並みを歩いた。橋の袂にはかわいい風向計のオブジェがあった。
園内に聳え立つ見事な木立。
園内にあった巨大な岩。その説明立札と両方を写真でそうぞ。
旭川を岡山城側から月見橋で渡ると、日本三名園のひとつ「岡山後楽園」である。後楽園は江戸時代に岡山藩主池田綱政公が造ったものである。
前の晩に見たライトアップした様子とは違う岡山城。城の壁面の色が黒いことから烏城(うじょう:からすじょう)または金烏城(きんうじょう)とも呼ばれている。美しい城である。
片方の系の終点東山には玉井宮東照宮があり、宮の裏手から連なる操山(みさおやま)にはその昔、虫取りのために登り、駆けまわっていた記憶がある。
岡山市内には路面電車が岡山駅-清輝橋と岡山駅-東山の二系統走っている。40年前に岡山から引っ越す時には私も東山から岡山駅まで乗った記憶がある。
翌朝、早起きして市内を散策することにした。歩いていて、ふと足元を見るとマンホールの蓋に桃太郎の絵が描かれている。そういえば岡山は白桃の産地であり、桃太郎伝説の地でもあり、定番土産はきび団子なのであった。
お腹も満足したところで城下町らしい屋敷や旧家の続く街中を歩いていると、これも40年前と変わらぬ緑色のライトアップで夜空に浮かぶ岡山城に遭遇した。ひと廻りしてこの日は宿に帰った。
「とりそば」といっても鶏がらだしのラーメンで、チャーシューではなく煮鶏がのせられて、私はしょうゆ味でゆで卵ものっている「とり玉そば」を食べたのですが、しっかりとした味のとても美味しいラーメンでした。大食いの人には量的に物足りないかもしれませんが、「とりそば」は650円とリーズナブルなので、「とりご飯」等のサイドメニューと一緒に頼むと良いかもしれません。
仕事が終わって同行者達は帰京。一人でホテルにチェックインして一休みした後、夕飯を兼ねて周辺を散歩してみました。夕飯は、路面電車の岡山電軌が走る通り沿い、日本銀行岡山支店と中国銀行本店の向かい側にある「とりそば太田」という店に入りました。岡山のラーメン店をWeb上で検索すると頻出してくる、かなり有名なお店のようです。
で、岡山で仕事が終わってからの報告です。実は40年ほど前に岡山市に住んでいたことがあり、市内を流れる旭川とそのほとりに建つ岡山県庁は当時と変わらぬ懐かしい姿でした。
【番外・出張編】の第二弾は岡山です。出張は、12/8(水)朝7:48MAXとき307号で東京を発ち、9:51に新潟駅着。お昼を挟んでお客様と打合せ。17:05新潟空港発JAL2248便で大阪伊丹空港へ。大阪では曽根崎町のお初天神近くで同行者達と“ふぐ”を食し、リーガロイヤルホテルへ一泊。12/9(木)朝は7:58新大阪発のぞみ97号で8:43岡山着。16:00頃までお客様と打合せ、19:00頃まで同行者達とラップアップミーティングでお仕事終了。とても忙しい日程でした。行程中、新潟から大阪まで乗った飛行機はエンブラエル170という全長30m弱の客席が左右2列ずつの小型旅客機でした。今を去ること40年くらい前にはYS11というプロペラ機にも乗ったことがあるけれど、久しぶりの小型機で乗る前は少しドキドキでした。飛んでしまえば座席は大型機のエコノミーより広いような気もしたし、快適なフライトでした。     
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2010年11月3日水曜日

2010/11/03 【番外・出張編】北海道

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夜はジンギスカン鍋と毛がにというめちゃくちゃな取り合わせでたらふく食して、さらには甲羅酒と生ビールをがぶがぶ飲んで、中島公園横のノボテル札幌でぐっすりと眠ったのであった。えっ!?仕事は?って、4日・5日とちゃんとやって帰りましたよ。本当に。
キャンパスではクラーク博士の銅像や有名なポプラ並木も迎えてくれました。北大のクラーク博士像というと立ち姿で地平を指差す姿を思い浮かべがちであるが、あの銅像は羊ケ丘にあるものであり、北大キャンパスにあるのはこちらの胸像である。羊ケ丘の物の方が「少年よ、大使を抱け!」の言葉に相応しい姿をしているのでよく紹介されているので、よく勘違いされるのである。
キャンパスの紅葉もきれいでした!
小樽を出て翌日からの仕事場所である札幌へと戻ったが、夕飯にはまだ時間が余りそうであったので、北海道大学のキャンパスへ寄り道してもらった。キャンパスでは北海道らしい白樺の木がレンガの校舎に映えている。
小樽は、今はあまり近海には来なくなった鰊(ニシン)の漁や北海道の海山の産物を本州へ搬出する北前船の港として栄え、その後1960年代まではロシア貿易や北海道の炭鉱で産出する石炭の搬出の港として賑わっていたが、石炭需要の低下と北海道内の炭鉱の閉山、ロシア貿易の衰退等でピークは20万人程あった人口も13万人強程度になっているそうである。今は港が栄えた頃の運河沿いにあった倉庫を博物館、お土産店、飲食店等に改造して、運河の風情を残した観光都市と札幌のベッドタウンへと変貌しようとしているようである。そこからは、すぐ道央自動車道に入り札幌を通り過ぎて小樽へ行くことにした。小樽へ向かう途中、雪ウサギと遭遇。すぐ後ろにはキタキツネがそのウサギを狙っています。というのは冗談で、これは小樽市博物館にあった剥製です。すみません。
空港からすぐ近くにあるというので、「千歳サケのふるさと館」というところへ行った。写真のような水車についているカゴで川を遡上するサケを掬いとって捕獲するのである。当日は数分に一匹くらいがバシャバシャ音を立てて捕獲される程度であったが、多い日には水車の横の台の上でビチビチ、バタバタ大変なくらいだそうである。是非そんなところに遭遇してみたいものである。
北海道は雨模様。でも、11月初旬で紅葉の盛りは過ぎていたとはいえ、写真のようなきれいな紅葉が見れました。千歳空港への着陸時に雨雲をくぐって地上が見えたのですが、本当は機上で見たその紅葉が一番きれいでした。まるで油絵で絨毯の模様を描いたように見事でした。お見せできないのが残念。空港へは札幌在住の後輩が車(X-TRAIL)で迎えに来てくれて、東京から同行した後輩も含めて3人で、そのまま半日ドライブとなりました。札幌の後輩H、Thank youでした!
スカイラインで駆けたわけではないのでUpするかどうか長いこと迷っていましたが、Upすることにしました。11/3(水)文化の日、4日からの仕事に備えてボーイング777で北海道へ飛び、前泊しました。当日の東京は快晴。ボーイング777の後方にきれいに富士山が見えています(写真をクリックして拡大画像で見てください)。
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スカイラインで駆けて行ったわけではなく、出張でちょっと行ってきた記録を二つ続けます。とりあえず、その第一弾を番外・出張編としてUpしました。