2011年8月29日月曜日

2011/08/29 日光・奥日光 後編(奥日光)

戦場ヶ原は、中禅寺湖の北、男体山の東に位置する標高約1,400m、広さ400haのラムサール条約に登録されている湿地帯です。左の写真はその最南端に位置する赤沼から西側へ入ってすぐあたりの遊歩道です。
 湯の湖から湯滝として流れ落ちた清流がこの戦場ヶ原を通り、竜頭の滝を落ち、中禅寺湖へと流れ込みます。清流沿いにハイキング用の遊歩道が整備されています。

 戦場ヶ原にはマガモやオシドリのような水鳥をはじめ、キビタキ・キセキレイなどの野鳥も数多く見られます。
写真はマガモです。クリックして拡大して見て下さい。
実は奥日光、戦場ヶ原はこのブログへの登場は二度目です。2010/01/16 【番外編】奥日光として冬の奥日光を載せています。左の写真と次の写真は、角度は違いますがほぼ同じあたりで撮影したはずです。
http://skyline2-skyline2.blogspot.com/2010/01/20100116.html







こちらの遊歩道はほぼ同じ場所です。
日光から戦場ヶ原を通り、菅沼・丸沼、片品を抜けて沼田へ至る国道120号線を日本ロマンチック街道と言うらしい。
戦場ヶ原から日本ロマンチック街道を右折ではずれ、数百メートル走ると光徳牧場があります。

この牧場周辺には温泉を備えた宿泊施設やキャンプ場も整っています。
ロマンチック街道へ戻り、さらに進むと湯の湖があります。ここも昨年の1月に来ました。腰まで水に入りフライフィッシングをする人がいました。
湯滝はここから50m下に向かって一気に落ちます。下のほうに、滝の下にある観滝台が写っているのが見えるでしょうか。写真をクリックして大きくすると見えます。かなり高い位置であることがわかります。
白根山方向はずいぶん霧がかかっています。
湯滝の落ち口とは反対側の湯元温泉側に来てみましたが、ボートもほとんど岸に戻っていました。
ザアッと、ひと雨来る前に帰ることにしました。
今回のお土産です。
まずは栃木名物、レモン牛乳。
那須 森のビール。
ゆずサイダー。
あとは省略。










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2011/08/29 日光・奥日光 前編(日光)












 今回は日帰りで日光・奥日光へ行ってきました。荒川沿いの高架上を走る首都高速中央環状線を北へ向かって駆け上がり、首都高速川口線を経て東北自動車道に出ました。栃木県の佐野SAまで行って小休止にしました。
すぐそばで自衛隊の車両も休憩中。平日に高速を走るとよく自衛隊車両を見かける気がします。訓練なんだろうか?
宇都宮から日光宇都宮道路へ入り、日光口PAへはA.M.11:30過ぎ、出発から2時間ほどで着きました。左の写真の通り、道路は車も少なく順調です。
日光口PAにあるこのオブジェはチェーンソーのみで彫られていて、作者はカナダで開かれているチェーンソーカービングの国際大会で2007年から3年連続で優勝された栗田宏武さんという方です。
PAでついでに昼ごはんを食べました。とろろそばの味は、こう言っては失礼ですがPAとは思えないほど美味しいものでした。普通のそばより少し平たい感じのそばで、のど越しがとても心地よいものでした。美味しくて元気が出たので、徒歩でPAの外へ散歩に出てみることにしました。
下り線PAの裏手はうっそうとした杉の森になっていて、そこには小川が流れ、ちょうど流れ込みになっているところへスポットライトのように陽が差しこんでいました。ディズニー映画なら、ここから女神か妖精でも登場しそうな雰囲気でした。
森へは深入りせず、道路下のトンネルを抜け反対側へ出てみると稲穂のじゅうたんがずっと奥まで続く田園風景でした。
辻に建てられていた石碑です。文政年間に建てられたようです。幕末近く、坂本竜馬はまだ生まれてなく、伊能忠敬の日本地図が完成した頃でしょうか。
田園の中にJR日光線の踏切がありました。
線路を越えて、さらに国道119号線も超えていくと旧日光街道(と思われる)の有名な杉並木も見れます。
稲穂はずいぶん重くなってきているようです。この辺りでは9月下旬には稲刈りだそうです。
そろそろPAの車に戻ろうとしたところ、さっきの踏切を上り列車が通過しました。
日光口PAから清滝ICを通り、第二いろは坂を駆け上がり華厳の滝へ到着。いろは坂は行きは第二、帰りは第一と一方通行になっていて、対向車は来ません。で、ご存知の通りのターンの連続している道なので運転好きの方にはたまりません。いろは坂終点から華厳の滝までは、トンネルを越えるとすぐです。
左は第二駐車場の木立の間から見た華厳の滝です。
駐車場横の無料の展望台からみた華厳の滝です。いろは坂を上がった頃から小雨模様ではあったけれど、画面が白っぽいのは霧や雨ではなく、滝の落ちる水しぶきの滴が宙を舞っているからです。最近大雨の日が多かったので、この時期にしては最高の迫力で水が落ちているそうです。(駐車場のおじさん・談)
往復530円のエレベーターに乗って滝の下の方にも降りてみました。駐車場から見るのとはまた違った華厳の滝です。
駐車場に戻ってみると端っこの柵の方で観光バスのガイドさんが口に指をあて「しーっ」と言いながら手招きをしています。行ってみると柵の向こうの急な崖の斜面に野生の鹿が来ていました。あわてたのと柵の間から無理やり撮ったのとで、ひどいピンボケになってしまいましたが、真ん中の茶色いのが鹿です。クリックして拡大してみてください。




ここまでを前編とします。日光と言っても東照宮も行ってないし、中禅寺湖も車窓から横目で見て通りすぎてしまいました。自分としては田園風景で癒され、滝のマイナスイオンをたっぷり吸って満足でしたが、日光の観光地を見れると思って読んでくれた方には申し訳ない感じです。後編は奥日光です。戦場ヶ原から湯の湖あたりまでと、お土産品の紹介です。
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2011年8月10日水曜日

2011/08/10 軽井沢・小諸 後編












 後編の最初は軽井沢から小諸へ向かうちょうど中間点あたり。中軽井沢よりは小諸寄り、御代田よりは軽井沢寄りの信濃追分というところに堀辰雄文学記念館がありますが、そこからです。
 「風立ちぬ」「菜穂子」「美しい村」等の、あの堀辰雄です。軽井沢は作品の中にもよく出てきますが、実際に住居も別荘も軽井沢に持ち、晩年はこの記念館の場所に住んでいたようです。
 軽井沢は多くの文人のゆかりの地ですが、堀辰雄も室生犀星や川端康成等多くの文人と軽井沢で交流があったようです。写真の奥の掛け軸の書は川端康成が新築祝いに書いて贈ったものだそうです。手前の籐の椅子とテーブルのセットは女優の高峰三枝子さんかららしいです。

 記念館では住居以外に常設の展示館と管理棟にある企画展示も観れます。
 庭には四畳半ほどのこじんまりとした書庫も建てられています。この書庫は堀辰雄が亡くなる10日前に完成したそうです。
 記念館の次は10kmほど駆けて小諸城懐古園へ行きました。
 小諸城二の丸跡。徳川秀忠(徳川二代将軍、NHK大河の「お江」の3回目のご主人)は関ヶ原の戦いに中仙道経由で参戦しましたが、向かう途中にはここで逗留しました。
 懐古園脇にある小諸義塾です。島崎藤村はここで教師をしていたそうです。
 小諸城の展望台からみた千曲川です。藤村はこんな景色を見ながら「千曲川旅情の詩」や「小諸なる古城のほとり」等の詩を書いたのでしょう。
 懐古園内には島崎藤村の「藤村記念館」もあります。
 昔、懐古園内には横山祖道という、左の写真の中の写真の僧侶がいたそうです。22年間もの間、雨風にかかわらず毎日ここに立ち、説教のかわりに草笛を吹いていたそうです。ボタンを押すと、当時の草笛の音が流れます。。
 園内にあった樹齢500年以上の欅の木です。関ヶ原の戦いの頃にはもうここで樹齢100歳近くで生えていたわけで、そう考えると「ううむ…、恐れ入りました」と一枚撮らせていただきました。
 最後に今回の弾丸ツアーで手に入れたものです。
ベジハーブディップ。
マヨネーズとチーズベースのハーブなどがミックスされたディップです。セロリやきゅうりなどつけて食べると美味しそうです。
柚子醤油味の軽井沢ドレッシング。
EVENING PRIMROSE軽井沢店のチーズの菓子。
 信州地ビールOH!LA!HO!(お・ら・ほ)
 信州に行って“そば”は、はずせません。今回は八割そば。
 こちらも定番。野沢菜です。











暑い日でしたけど、快適ドライブできました!

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